葬式をしない寺 [100番台]
改めて考える宗教というもの。
久しぶりのブログ更新です。ちょっと思うことあって書くことが出来ませんでしたが、ここに書くことが自分自身のリセット方法と考えての復帰です。
さて、今回ピックアップしたのは、大阪にある葬式をしないお寺について書かれたものです。
3.11の震災から、様々なことがありすぎました。幸い、自分自身には身内や知人をなくすようなことはありませんでしたが、最期の気持ちの整理をつけなければならないとき、やはりそこには宗教の出番なのだろうと強く感じたものです。
実際、被災地をまわってお経をあげるお坊さんの姿がわりと頻繁にテレビで放送されていました。日本の場合、仏教=葬式=人の死の決着のつけ方というイメージがありますが、そこを決着つけないと残った人間は次に進めないのだということを改めて考えていました。
そんなときに、たまたまこのような本が自分のところにやってくるのです。このお寺は、葬式をしないでそこのコミュニティにいかに貢献するかを模索しているお寺です。
そう、地元のコミュニティにお寺って本当はもっと身近になっていいはずなのに、つまらないお寺=葬式という公式のために「心の最後のよりどころ」の役目を果たせていないところがほとんどです。このお寺のやっていくことは、きっと今後の日本に必ず必要になってくるんじゃないかと、静かに感じています。
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