SSブログ

共感覚 [100番台]


共感覚―もっとも奇妙な知覚世界

共感覚―もっとも奇妙な知覚世界

  • 作者: ジョン ハリソン
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2006/05/20
  • メディア: 単行本



もしかしたら、これを持っているかもしれない・・・

共感覚とは、音を聞くと色が見えてしまう特別な感覚を指します。2000人にひとりのくらいの割合でいるらしいのですが、なかなか身近にそのような人がいないので、わかりにくい感覚でもあります。共感覚の人は、それが自分では普通だと思っていますが、周囲の人には伝えても分からないので人知れず悩んでいるものだそうです。

色が見えるなんてことは「主観」の世界なので、それを実証しようとするととても難しいものです。しかし、私にはそれに近い感覚が実はあります。

私は真っ暗な中にいるとき、ちょっと大きい音がすると目の前が一瞬フラッシュを焚いたように明るくなることがあります。小さい頃から今に至るまで、「いつでも」そうなるものと思っていました。でも、この本を読んで音が色として見える人たちがいることを知り、もしかしたら私も、少しだけ共感覚があるのかもしれません。

これを読んでいるあなたも、同じような感覚はありませんか?特別な感覚の持ち主のひとりかもしれませんよ。
nice!(0) 
共通テーマ:

なぜ「あれ」が思い出せなくなるのか [100番台]


なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか―記憶と脳の7つの謎 (日経ビジネス人文庫)

なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか―記憶と脳の7つの謎 (日経ビジネス人文庫)

  • 作者: ダニエル・L. シャクター
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2004/11
  • メディア: 文庫



記憶を信用できるかどうか、この本を読んで考えてみたい。

最近のニュースで、いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義容疑者がアメリカで逮捕されたことが連日報道されています。1981年の事件での逮捕ですから、それはもう古い話になります。個人的な年表で言えば、ジョン・レノンがダコタ・ハウスで射殺された次の年という位置付けです。

さて、そんな古い記憶を、果たしてキチンとした形で思い出すことができるのでしょうか?この本によると、記憶には7つのエラーがあるのだそうです。そのために「精確に思い出す」ことは難しいらしいのです。そのエラーとは、次のようなものです。

・物忘れ
・不注意
・妨害
・混乱
・暗示されやすさ
・書き換え
・つきまとう記憶

この中で気になるのが「暗示されやすさ」となります。最初まったく思い出せないのに、何度も質問されてその答えに肯定の返事をされると途端に「確信のある記憶」になってしまうことです。アメリカではカウンセリングを受けて幼児期の虐待の記憶を思い出す人がたくさんいます。実際そんな事実はまったくないのに、「思い出して」しまうのです。このパターンでさらに有名なのはカウンセリングで「宇宙人にさらわれたこと」を思い出してしまうことです。日本人には理解できないことですが、アメリカ人にはこんな話がたくさんあります。

この原因は、暗示されやすい人に外部から様々な形で「圧力」がかかると、影響を受けやすくなり、記憶が捏造されてしまう脳のエラーとこの本で指摘しています。もし、今回の三浦容疑者逮捕の証拠が新しく見つかった証人であるとするならば、この証人が暗示に弱い人物であれば、証言の信憑性という問題を引き起こす可能性があります。

記憶なんて基本的に安定して変わらないものという認識を、この本はもっとあやふやな微妙でかつ深いものであることを改めて認識させてくれます。
nice!(0) 
共通テーマ:

ぶっちぎり世界記録保持者の記憶術 [100番台]

ぶっちぎり世界記録保持者の記憶術―円周率10万桁への挑戦 (B&Tブックス)

ぶっちぎり世界記録保持者の記憶術―円周率10万桁への挑戦 (B&Tブックス)

  • 作者: 原口 證
  • 出版社/メーカー: 日刊工業新聞社
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 単行本

記憶力は衰えない!

円周率の暗唱の世界記録を作った人の、どのようにその円周率を記憶したかを紹介した本です。著者は、この手の年齢の限界と思われる年から円周率を覚え始め、還暦を過ぎた今も自身の世界記録の更新(8万桁を10万桁に!)を目指しています。

実際、50歳を過ぎてから覚え始めたのですから、記憶力は年齢に左右されないという証明を自分で見せてくれます。円周率などの単なる数字は記憶しにくい物の代表で、覚えるためには語呂合わせが必要になります。よく電話番号や年号はそうやって覚えますが、円周率も著者は語呂合わせで「壮大な物語」を覚えます。逆に考えれば、日本語は語呂合わせに非常に向く言語という特徴が記憶につながると考えられます。英語だと単語の文字数で暗記するそうですが、そうなると制約が大きそうです。

また、著者は実行8割といういい言葉を言っています。これは10割やろうとするときつくなって続かなくなるから、8割ぐらいで頑張れば世界記録まで続けられるというものです。最初から完璧を目指さなくてもいいという先達の考え方は、少し気楽にモノを覚えられそうです。そう、無理したらなにも続かないんです。そして、いくつからでも新しいことを覚えられるということを忘れないように。

追記
今日のニュースで、11万桁への挑戦をして失敗したと報道されています。10万桁はもう達成していて、62歳で記録更新を目指したものの失敗したのだそうです。


nice!(0) 
共通テーマ:

政治的に正しいおとぎ話 [100番台]

政治的に正しいおとぎ話

政治的に正しいおとぎ話

  • 作者: ジェームズ・フィン ガーナー
  • 出版社/メーカー: ディーエイチシー
  • 発売日: 1995/05
  • メディア: 単行本

それを正しいと言っていいのか?

PC(ポリティカリー・コレクト)という言葉がアメリカにはあります。これは、差別用語を言い換えようとする運動の中から出てきた言葉で、使うと表現が異常に長くなる傾向があります。日本でも、これに近い言葉の使い方が増えてきました。例えば「障害者」ではなく「障がい者」などのように。かえって表現が狭まるので使うことに躊躇する言葉でもあります。

でもアメリカでは、それを問題点として提起するためにこのような普通の童話を「政治的に正しい言葉」で書き直したものが出版されているのです。

白雪姫は、肌が雪のように白いという点が「有色人種に対する差別に該当する」ということで「有色人種差別的な名前を持つ王女」としてストーリーが展開されます。7人の小人たちは、小人が差別に該当するので「垂直方向にチャレンジされた人」として登場します。もちろん、内容も「政治的に正しい」内容に改められているので、元のストーリーとはまったく違う結論になります。

これを読んで最初は面白いと思っていましたが、だんだん不愉快になっていく自分がそこにはいました。何が不愉快なのかを考えてみると、「政治的に正しい」という価値観を一方的に押しつけられてしまっていて、その結果息苦しくなっているから、と思えてきました。

これもある種の(そして私の嫌う)言葉狩りの一種でしょう。こんなことが普通になると、ブログなどで何も発言できなくなるんじゃないかと不安になります。アメリカでは、この本が出版されたときに「さすがにこれはまずいんじゃないか」と論争になり、これを改める方向に進むことになったようですが、この日本は果たして、どちらに進むのでしょうか。マスコミの今の状態を考えると、これがさらに過激な方向に進むんじゃないかと心配しています。


nice!(0) 
共通テーマ:

上達の法則 [100番台]

上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書)

上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書)

  • 作者: 岡本 浩一
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2002/05
  • メディア: 新書

効率のよい努力という考え方。

例えばモノを新しく習得することを考えてみましょう。パソコンでも、英会話でも、それこそ自転車に乗ることでも。そのとき、どのように習得しましたか?自転車については、子供であればある程度練習して、なんとなく乗れるようになって、それ以降は乗り方を忘れないという特徴があります。でも、いくら勉強しても英会話やパソコン、それに資格試験はうまくいかないという人もいます。それは、もしかしたら、上達の法則を無視して頑張っているのかもしれません。その「上達の法則」の心理学的背景を含め、この本は教えてくれます。

基本的に、この本は中級者が上級者になるために必要な考え方を示しています。基本的な考え方は次のようなモノです。

1:鳥瞰的認知を高める
2:理論的思考を身につける
3:精密に学ぶ
4:イメージ能力を高める
5:達人の技に学ぶ

1の「鳥瞰的認知を高める」は、全体を見渡して、自分の今いる位置を知ることでどのような状況なのかを知ることが出来ます。これが上達のポイントになるということです。実際、自分が何をやっているのかわからない状況は、上達しているのかどうかも見えません。

2の「理論的思考を身につける」は、自分が覚えたことを言葉で理論的に説明できるかどうかと考えればイメージがしやすいかと思います。「自分ひとりなら出来る」と「人に説明できる」の違いと言ったほうがわかりやすいかも。理解があやふやだと説明できませんから。

3の「精密に学ぶ」は、基本的なことを精密に繰り返すことにより、技の精度を上げることです。

4の「イメージ能力を高める」は、将棋でいうところの目隠し将棋のようなものです。目隠し将棋というのは、盤なしで対局するもので、だいたいアマ2段ぐらいあればできます。しかし、頭の中にその将棋盤のイメージを浮かべ、しかも駒を自由に動かせるようになるには集中力が必要になります。

5の「達人の技に学ぶ」は、プロや達人の技から新たな発見を得ることです。

いずれの項目も、上級者はこの道を通っているようです。それも、上級者はその努力に対し、抜群の集中力を見せるのだとか。そこまで行かない中級者、初級者でも、この考え方を学び生かすことは出来ます。これこそが後から学ぶものの特権です。


nice!(0) 
共通テーマ:

企業不祥事の心理学 [100番台]

企業不祥事の心理学―ウソが許されない時代のリスク管理術

企業不祥事の心理学―ウソが許されない時代のリスク管理術

  • 作者: 和田 秀樹
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2002/12
  • メディア: 単行本

あまりに最近多すぎて・・・

この本は、企業の不祥事を「ウソ」という観点から見て、心理学的に分析したものです。それでなくても最近も「赤福」から始まって「御福餅」、吉兆に比内地鶏に・・・と、もう不祥事のオンパレードです。となればこのような本で実際はどのように考えたらいいのかを知る必要があるのではないかと。

で、この本では、企業不祥事の「ウソ」を次の6つに分類しています。

・自己防衛型ウソ
・秘密型ウソ
・体面保持型ウソ
・ウソも方便型ウソ
・義理人情型ウソ
・積極的ウソ

自己防衛型ウソは、そのものズバリ自分を守るためにつくウソ、秘密型ウソは、秘密を守ろうとしてさらに重ねるウソ。体面型ウソはメンツを保つためにつくウソ、義理人情型ウソは上司を守るためにつくタイプのウソ、そして積極的ウソは、詐欺や人を騙すためにつくウソで、この手のものの極致がエンロンなどで行われた粉飾決算となります。

この分類から見ると、最近の食べ物系企業のウソは自己防衛型のウソが秘密型ウソに変わり、最終的に義理人情型のウソになってしまったと考えられます。もちろん、円天のような積極的ウソもあります。

こうなるとウソばっかりでうんざりですが、こちらとしては疑うことを前提としなければならない時代と思うしかないのかもしれません。


nice!(0) 
共通テーマ:

人生相談は「不幸な人」にしよう [100番台]

人生相談は「不幸な人」にしよう 心理学に学ぶ意外な日常の法則 [ソフトバンク新書]

人生相談は「不幸な人」にしよう 心理学に学ぶ意外な日常の法則 [ソフトバンク新書]

  • 作者: 内藤誼人
  • 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
  • 発売日: 2006/10/17
  • メディア: 新書

こんなことをしっかり調査・研究した心理学者がいるのか。

この本は、役に立つ?心理学の研究結果が紹介されています。そんなことを研究している研究者がいること自体びっくりですが、それを不思議と思い不思議のままにしておかない研究者に敬意を表したいと思います。

で、その内容ですが、例えばこんなことが紹介されています。
「人生相談は不幸な人にしろ」
これは、恋人と別れたばかりの人のほうが、より冷静に判断できるからなのだとか。これ以外にも、次のようなものがあります。
・臭い部屋では人は怒りっぽくなる
・相手のいいところを探せる人ほど幸せになれる
・明るい未来をイメージすればIQがアップする
・太った人と一緒に仕事をすると、こちらまで悪く評価される
等々

なんでこんなこと研究したんだろ?と思うことばかりです。その中でも個人的に一番のお気に入りはこれ。

・あいまいなことをもっともらしく言えたら占い師になれる

これはだれにでも該当することを言えば、聞いた相手が勝手に信じてくれるのだそうです。これも、実際に誰にでも当てはまりそうな内容の手紙を送って当たっているかどうか返事をもらう実験をおこなったら、ほとんどの人が「当たっている」と答えたのだそうです。このことを意識して、私が心底嫌っている某占い師のテレビ番組を見てみてください。なるほど、この作戦が実に上手に使われています。ついでにいうと、あの番組に参加する時点で、もう騙されているも同然である、というのも事実だったりします。信じたいものを、人間は信じますからね。


nice!(0) 
共通テーマ:

天才はなぜ生まれるか [100番台]

天才はなぜ生まれるか

天才はなぜ生まれるか

  • 作者: 正高 信男
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2004/04/08
  • メディア: 新書

天才の、天才たるゆえんをここに求めるのもありか。

エジソン、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アンデルセン、グラハム・ベル、そしてウォルト・ディズニー。この6人に共通するものは何だと思いますが?自分の専門分野で成功を収めた人物であることはすぐに分かると思いますが、この本の著者はこの6人を「広義の」学習障害があったのではないかと見ています。もちろん本人がそれを認識していたかどうかは分かりませんし、成果の大きさに隠れてしまって伝記もかなり脚色されたケースもあります。しかし、著者によるとかなりの確率でこれは事実みたいなのです。

例えば有名な話ではアインシュタインは、言葉を話し始めるまで随分時間がかかったと言われています。これは、学習障害の中の聴覚情報を一時的に蓄えておくことができないためにそのような状況が出てきたのではないかと考えられます。そしてその能力を補完するように視覚イメージ処理の能力が逆に発達したから物理学に適性が発揮されたのではないかというのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチも同じような障害があり、文字の認識がうまく出来ないから、最終的に鏡文字しかかけなかったのではないかと著者は推測しています。

この本を読むと、健常者=優れている、障害者=劣っているという単純な話ではないことを痛感させられます。健常者から見たら普通のことでも、そのこと「のみ」できない学習障害の人もいるのです。そしてこのような人は別のことで健常者以上の能力を発揮するかもしれません。

このような学習障害は、実は非常に多いことなのかもしれません。それを画一的に「できないから」と締め出してしまう今の環境は果たしてどう考えたらいいのでしょうか?自分自身は、障害がある=ひとつの個性であると考えてまずそのことを認めることにしてから、その先を考えることにしていますが、画一的な考えに毒されているのではないかと不安になる1冊でした。


nice!(0) 
共通テーマ:

ゆっくりでいいんだよ [100番台]

「ゆっくり」でいいんだよ (ちくまプリマー新書)

「ゆっくり」でいいんだよ (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 辻 信一
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/09
  • メディア: 新書

便利と引き換えに、何かを失ってしまったと思いませんか?

例えば、こんなことを考えてみてください。

「新幹線や飛行機で移動に時間がかからなくなりました。つまり、時間を節約できるようになったのですが、その節約した時間で何をしていますか?」

この答えは、ほとんどの人は移動に時間がかからなくなったといっても、「忙しさが変わらない」「かえって忙しくなった」のではないでしょうか。そしてその状況は、果たして望ましい状況かと質問されたら、あなたはどう答えますか?この本は、ミヒャエル・エンデのモモ を引用しながら、そんなに急いでどうするの?を問いかけてくれるものです。

今の世の中はどんどん便利になってしまい、様々な形で「時間」の節約ができるようになりました。しかし、その便利さと引き換えに私たちはなにかを失ってしまったのでは?と考えさせる内容となっています。例えばキレイで平らな床のために、でこぼこな道でバランスよく歩く能力・転ばないで歩く能力を失ってしまったとか・・・

この本はある種「スローライフ」の入門書のようなものですが、多少ビジネスが見え隠れする「スローライフ」という言葉以上のものを語りかけてくれるような気がします。


nice!(0) 
共通テーマ:

羞恥心はどこへ消えた? [100番台]

羞恥心はどこへ消えた?

羞恥心はどこへ消えた?

  • 作者: 菅原 健介
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2005/11/16
  • メディア: 新書

ジベタリアンや電車内の化粧は、はたして恥ずかしいことか?

この本は、「恥ずかしい」という心理を研究している心理学者の本です。「恥ずかしい」も研究対象として考えると、実に奥深い面を見せてくれます。

まず注目されるのは、男性がレンタルビデオ屋でアダルトビデオを借りるときの態度です。かなり恥ずかしい行為ですが、これを研究・分析すると次のようになるのだそうです。

・隠蔽工作:他の客がいないときにカウンターに行く
・偽装工作:普通のビデオのコーナーも回る、アダルトビデオ以外にも興味があるように装う
・関与否認:アダルトビデオを連続して借りない
・他人行儀:店員にわざと無愛想に振舞う

これが隠蔽工作=他者の目、偽装工作=行為の露見、関与否認=人格への帰属、他人行儀=目撃者との関係性と恥ずかしさの理由となるポイントを見事に潰しているのだとか。だから、他者の目がなければそれほど恥ずかしいとは思わないけど、よく知った人がそこにいたらすごく恥ずかしいのです。よく、スーパーで買い物かごを下げて歩いているときに知り合いに会うのは相当恥ずかしいですが、これが他者の目なわけです。逆に旅先なら知っている人に会う可能性は限りなく低いので「旅の恥は掻き捨て」になります。

それでは地べたに座り込むジベタリアンや、電車の中での化粧はどうなのか?この本ではこれを「せまいセケン」の中で自分だけやらないと恥ずかしいと分析しています。ルーズソックスを履くことより、履かないでいることのほうが恥ずかしいと。「せまいセケン」が乱立しているために、恥ずかしいと思うかどうかが変わり始めているというのがこの本での見解となっています。なるほど、たしかにそのとおりかもしれません。

著者によると、恥ずかしいということは、どうやら人類の遺伝子に刷り込まれているようなもののようです。なぜなら、生まれつきの視覚障害者でも、恥ずかしいという表情を見せるのだとか。もし、後天的に獲得する(つまり見て学習する)のであれば、視覚障害者が恥ずかしい表情は見せないはずですが、誰から教わることなく、その表情をするのだそうです。恥ずかしいというのは、「羞恥心が警告を出す」ことにより、日常生活をスムーズにすごす手筈を提供してくれるもののようです。日常に潜む落とし穴(といっても、うっかりミスなど)を回避し、落ちてもそこから這い上がる手段を提供するのが「羞恥心」と著者は指摘しています。

ちなみに日本人だけでなく、外国人も恥ずかしいと思うことがあるそうです。もちろん、文化的、宗教的バックボーンの違いから日本人とは違う局面になることが多いらしいですが。


nice!(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。