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あの日、野球の神様は”背番号3”を選んだ [700番台]


あの日、野球の神様は“背番号3”を選んだ―天覧試合昭和34年6月25日

あの日、野球の神様は“背番号3”を選んだ―天覧試合昭和34年6月25日

  • 作者: 松下 茂典
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2009/06
  • メディア: 単行本



結末は知っているんですが、なぜそれが実現したかは知りませんでした。

私の母と生年月日がまったく同じ長嶋茂雄が最後にサヨナラホームランを打ったことは知っていますが、この本を読むまで、どのように天覧試合が実現したのか、また試合経過はどのようなものだったのかはまったく知りませんでした。

もともとは昭和天皇が後楽園球場の方向を見て侍従に「あの明かりは何か?」と質問して、「プロ野球のナイターです」と答えたことがきっかけだったようです。昭和34年ですから、戦後としてはずいぶん時間が経過しているはずですが、両チームの監督は顔を上げることができなかったそうです。天皇陛下の顔を見上げてはいけないという教育を受けていたために、そのようなことになってしまったとか。

もちろんこんな状況ですから、選手も監督もガチガチに緊張していたことがよく伝わってきます。阪神は小山、巨人は藤田と両方ともエースを立てての試合で、小山から村山に阪神はリレーしていますが、藤田は完投勝利をしていました。

最終スコアは5対4ですが、巨人の得点はすべてホームランで、ONのアベックホームランの初めての試合だったそうです。最後の長嶋のサヨナラホームランで試合が決まりましたが、天皇陛下の退席が21時15分と決まっていて、残り3分で出たサヨナラホームランだったそうです。警備の都合で、退席の時刻は決められていたのに、その時間内にしっかりホームランを打ったのも、そしてこの試合でも誰よりも燃えて緊張していなかったのが、長嶋茂雄らしさを思わせます。

もう昭和の空気がいっぱいに感じられる内容となっています。これがプロ野球の人気を決定づけた試合でもあります。最近のプロ野球の失速感を感じている人間としては「古きよき時代」だったのかなと改めて思います。

長嶋のようなチャンスに誰よりも燃える、プレッシャーをエネルギーに変えられるような選手はもう2度と出ないかもしれないなとも。
タグ:天覧試合
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